中学の同級生に見られたら穴を掘ってブラジルに行きたい

脳脊髄液減少症を再発し、闘病中。「中学の同級生に見られたら穴を掘ってブラジルに行きたい」というのは、最初は精神的なことを書いていたので中学校の同級生に見られたら恥ずかしい内容という意味で付けました。

【ブラッドパッチ体験記】脳脊髄液減少症

かにゃーです。

しばらくブログを放置していました。

「君の名は」についての考察の途中だったんですが、先に書かなければならないことがあります。

 実は、入院して、脳脊髄液減少症の治療、ブラッドパッチをしてきました。

 「寝たきりだけど、言いたい!」と宣言して、うだうだ書いてきたわけですが、その寝たきりの原因、脳脊髄液減少症。今までの経緯はこちらにあります。

何がなんでも生きることが、死ぬことより正しいなら - 中学の同級生に見られたら穴を掘ってブラジルに行きたい

 寝たきりに戻ってしまったので、もう一度ブラッドパッチをしましょうということになり、やってきました。

 

人生で4回目のブラッドパッチ、初の2箇所

 入院は2泊3日。人生で4度目のブラッドパッチ。初めて首と背中の2箇所を経験しました。その記録を書きたいと思います。

(治療方法や医療の専門的なこと、効果などは保証できません。あくまでも個人的体験記です。)

▽入院1日目午前9時ごろ 病院到着。

 到着してすぐ施術着に着替える。尿検査、点滴の針を入れ、そこから採血。血管が見えにくいらしく、いつも何度も針刺すの失敗されて、前は4回目でやっと入ったんです...。

 失敗されるのはもう慣れてるから諦めてるんですが。

 今回は看護師さんが慎重に、両腕に温かいタオルを置いて温めて、さらに、よく締まるチューブのようなものでぐっと腕をしめ、1回で入れてくれました。時間をかけても1回で入れてくれた看護師さんに感謝です! 

 

▽10時 ブラッドパッチ予定時間

 先生がいらっしゃって、誓約書を書き、開始。

 ベッドに布団と枕を重ね、山にした上に覆い被さり、背中を丸めるようにして、うつぶせになります。あごを引き、足を伸ばし、力を抜くように言われました。

 うつぶせの私には最初から何も見えません。初めての2箇所、しかも首にするのも初めて。恐怖感が今までで一番強かった。前日はよく眠れず、悪夢を見たほど。

先生「ここにしますよ。」首の一点をおさえる。

私「うぐっ」

先生「痛いですか?」

私「大丈夫です。」(びびりすぎてる自分が恥ずかしい)

背中も同様に知らせてくれます。

先生「では、麻酔しますね。」

私「ううー。」(麻酔が一番恐いんだぜ)

先生「麻酔だからね。」

私「はいっ!」(なぜか体育会系返事しちゃった。麻酔は思ったより痛くなかったし、そうだ、こんなもんだ、人生で4回目だぞ、大丈夫。大丈夫。)

背中の麻酔も何とか大丈夫。 

 

 麻酔した後は、麻酔が効くまで少しだけ、時間をおきます。その間、針をずっと刺されてるような気がするのです。

もう入れた?もう入れたよね?もうブラッドパッチ始まってるよね?

と思うのですが、麻酔が効くまでに点滴の部分から、ブラッドパッチ用の血液を採っているので、ブラッドパッチはまだ始まっていません。

 この間、数十秒だと思いますが、必死な私には時間感覚が崩壊。しかも、ものすごく気持ち悪くなってきた。

私「ものすごく吐きそうなんですが!」

先生「悪いけど、我慢してね。」

私「はい!」

(麻酔した時から決めてたんだ。体育会系みたいに、先生の言うこと聞くって...!うっぷってお腹が動きそうになるけど、これは絶対動いちゃ駄目だろう、てか、まだブラッドパッチ始まってないし!うわあ、まだ始まってないとか、うわあ...)

変な汗をかきながら必死!!

でも何とか吐くのを我慢。ここで吐いたらうつぶせになっているので、悲惨だし。

先生「入れていきます」

私「はい。」その瞬間、

入ってるー!!!という衝撃。

 今まで、腰とか背中あたりに入れたことはあって、腰に入れた時は、骨盤をぎゅーって万力で絞められてる感じで、ものすごくひどい生理痛みたいだと思ってました。もともと生理痛ひどいから、何とか耐えられたと、女で良かったなどと思ってたのでした。

 でも、それが、首からやってくるとこういうことかと思い、色々省いて

ああー!こういうことかーー!!

と言いました。たぶん、結構大きな声。たぶん、前代未聞。

 入れたところからがーっと川をさかのぼるように激流がやって来て、それはものすごい圧力で、首から肩、頭のてっぺんや指先まできて、耳鳴りがしました。

その間「ああー!」とか「ううー!」とか言って騒ぎました。

 一方で冷静な部分が、古舘伊知郎が激流レポートしてる!などと。

さて、激流がさがのぼってやって参りました。やって参りました!血管でしょうか?いいえ、管という管をめぐって、何かがやってくるようです!やって来ました!

ごうごうと音をたてて、背中、肩にものすごい圧力をかけて、まるで万力で絞められてるような圧力で!ごうごうと、耳鳴りがします。これが、効いているということなのかもしれません!もしかしたら、象に踏まれたら同じような痛みかもしれません!

 何度も私がううー!ああー!と苦痛の声を出すので、先生は休み休み入れて下さいました。正直、やめて!と言いたい自分との闘いでした。でも、何とかその言葉は言わなかった。やめてしまったら意味がない。

 首を休んでいる時は背中を、背中を休んでいる時は首を、というように入れて下さいました。

 そして、何とか終えました。首は、予定より少し少なく終えましたが、背中は予定通り入れてもらいました。

 施術自体は数十分だったと思いますが、必死だったので、時間感覚がありませんでした。

 

 入れ終えたあと、施術着の上からマッサージ器みたいなもので振動を当てられ、あんなに圧力を感じていたものも、ここでかなり軽減されます。

 そして、「はい、起きて座ってみて」と言われ、ゆっくり座ります。

 

私「視界がよくなりました。身体もすっきりしています。」

 本当なのです。それまであった、どうしようもない倦怠感がなく、身体が別人みたい。もやもやした頭がすっとしたようです。ただ、入れた衝撃で頭が熱に浮かされたようにフワフワしますが。

先生は「良かった。それでは安静にしていてください。」と言って、去って行きました。

 

▽その後30分はうつぶせで安静。

 

▽うつぶせ安静の後は枕を使わず、仰向けに寝て良し。食事とトイレ以外は安静。

 37度台の微熱が出て、首や肩が凝ったように痛いですが、湿布を処方してもらったら平気でした。

 その後は点滴を1日2本やって、寝ていれば良いだけと思うと気が楽でした。

 

▽2日目

 微熱が下がり、肩や背中の痛みは前日より軽減。点滴2本。短時間のシャワー可。

 

▽3日目 点滴2本終了して退院。退院後2週間の絶対安静期間。食事とトイレなど必要な時以外は安静にしているように、水分をよくとるようにと指示される。

 

 そして現在は、2週間の安静期間中。なるべく動かないようにして、安静を守っています。横になっているのは今までと変わりませんが、今まで、あった目眩や頭痛、倦怠感などは今のところありません。どうか、このまま治りますようにと願いながら過ごしています。

 とても長くなりましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。記憶ちがいのところはあるかもしれませんがこれが私の体験記です。

 安静期間が終わってもすぐには動けない、また、動いて、症状が戻って来ないよう慎重にやっていくつもりです。

 

「君の名は」が遠距離恋愛ではない?という疑問について考えた。

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 かにゃーです。

 寝たきりなんですが、同時平行で、恋人とは、数年の遠距離恋愛中でもあります。(えっ)

 1000㎞の距離です。

 この前、1000㎞先にいる彼が「君の名はって遠距離恋愛じゃないんじゃない?」と言ったので、それについて考えたことについて書きます。

 まず、なぜ、遠距離恋愛ではないと思ったのか聞きました。理由は主に2つでした。

 1.遠距離恋愛とは、その距離のもどかしさを含めて、遠距離恋愛だと思うから。

 2.そもそも全く知らない人と、体が入れ替わっても好きになるか疑問があるから。

 

 今回は、1について書きます。次回、2について考えていきたいと思います。それでは、早速、始めていきます。

【理由その1】

 遠距離恋愛とは、その距離のもどかしさを含めて、遠距離恋愛だと思うから

 

 経験者しか分からないことでもあるのですが、すぐ会える距離にいた恋人が、遠くにいってしまうというのは、今までの恋人との関係性が、少し変わってくるのです。お互いに好きであっても、距離のために会えない。電話やメールでなんとか解消しようとするけれど、完全に解消することはありません。

 見えない距離が、どうにも壁となっている気がする。最初は戸惑います。

 でも、慣れてくるとその「距離」が、恋愛を成り立たせているような気がしてきます。RADの「君と僕とこの距離3人で良いよ」状態です。でも、それでも、好きだから、もどかしい。

 このように複雑な感情になります。

 そして、このような気持ちになるのは、近距離でいたとき、出来ていたことができないから、という理由があります。

 すぐ会えていたのに会えない。喧嘩しても、電話などで話すしかない、触れあうことができない。などなど。さまざまなもどかしさを抱えることが遠距離恋愛を成り立たせているのではないか、と考えたそうです。

 

 これに対して、「君の名は」では、瀧くんと三葉ちゃんは会っていないから、近距離でいたことがありません。近距離を経ていない遠距離恋愛。つまり、近距離で出来ていたことができないことでの「もどかしさを抱えていない状態」だということです。これは、遠距離恋愛ではないのではないか、ということでした。

 

 私はここに、異議を唱えます。私が言いたいことは、

入れ替わりは、究極の近距離恋愛=重なり恋愛だ!ということです。

 どういうことか。体と心が入れ替わる場合、相手と一緒にいる時は、入れ替わりの時なのです。自分の心が相手の体に入る、これが、相手と会うということなのです。自分の心と相手と体がぴったりとくっついている状態、ひとつになっている状態です。これが、心地良いから、好きだから、

「もう少しだけで良い。...あと少しだけで良いから、くっついていようか。」なのです。

 「君の名は」の小説には、人間の記憶は抜き差しできるデータのようなものなのか?という部分があります。心が入れ替わっても、相手の体は、相手の体のままで、そこには相手の記憶があるのではないかということでした。

 そうだとしたら、相手の体とくっついていられる状態は、究極の近距離恋愛、言い換えると重なり恋愛ではないかと思いました。

 大好きな人と一緒にいたいと思うことが愛で、近くにいたいと思うことは自然で、くっついていたいと思って触れあう。

 どんどん近寄って、くっついて、もはや、皮膚さえ、体という外側が障壁であるような近距離恋愛相手と一緒にいたいと思うことが愛なら、その理想を叶えてしまった形が入れ替わりなのだと思います。

 そして、決してそれは現実には体現しないわけですから、少し切ないことです。どんなにくっついても、私たちは別々の個体としてしか存在しないわけですから。それでも、知りたいと思う、近くにいきたいと思うのが、恋愛なのかもしれません。

 そして、瀧くんと三葉ちゃんは、入れ替わりが突然途絶えて、相手に会うこともありません。そのときのもどかしさをずっと抱えて生きていきます。誰を探しているのか分からないほどになっても、何かを抱えて生きています。普通の遠距離恋愛よりも、よりもどかしさがあるのではないかと思います。

 では、まとめに入りたいと思います。

 入れ替わりは、究極の近距離恋愛、重なり恋愛であり、そのあと出会えないということは、究極の遠距離恋愛である。よって、近距離を経たもどかしさを抱えた「君の名は」の恋愛は遠距離恋愛と言える。

 個人的には、瀧くんと三葉ちゃんが少し羨ましくもあります。そこまで、相手を知ることは現実にはできないわけですから。知りたい、分からないというもどかしさを「好き」で昇華するしかありません。

 次回は

2.そもそも全く知らない人と、体が入れ替わっても好きになるか疑問があるから。

これについて、書きたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。 

NHKの一周回ってる笑いがわからないのがださい

ねほりんぱほりんが衝撃

 あけましておめでとうございます。かにゃーです。

 遅くなりましたが、2017年の初めての記事です。相変わらず、症状が変わらず、テレビを見ることくらいしかできません。新年一発目の出発点ははこれです!

「若者はNHKを見ない」

...なぜ、これなのか、といいますと、私なんかはテレビくらいしか楽しみがないわけで。それで、ずっとテレビを見てると、NHKには面白い番組がたくさんあるって気づいちゃうんですね。でも、同世代はNHKどころか、テレビを見ないらしいのです。ちょっとしたショックです。 

 NHKといえば、紅白歌合戦です。毎年始まる前から、終わった後まで、あーだこーだ出るですね。今回の紅白なんかは、挑戦してる!!っていう雰囲気が出すぎてましたね。

 それが逆に面白いんですけど、伝わらなかった人もいるようで。NHKっぽくないことしたい!って、頑張ってちょっと空回りに見えて。それが面白いんですよ。一周回ってるのかもしれませんが。

それで、伝わらなかったから批判する人も極一部いて。その極一部のださい人になぜか怒った私はこんなことをTwitterで呟いてしまいました。

 

紅白グダグの記事、あのハーフタイムのPPAP途中で切れるのとか、タモリさんとマツコの設定とか、変な感じにするのが狙いでしょ。今年は司会あの二人だし、わちゃわちゃした中での良い人たちの感じを目指したんでしょ?「説明がない」って...何年テレビ見てるのよwそんなに視聴者馬鹿じゃないよ

 

だいたい、司会を相葉ちゃんとかすみちゃんにThe NHKの武田アナにするあたり、「おっ、今回は異色な感じや...!」って読めるよ。NHKの笑いのちょっとずれてるところが良いんだよ!!誰も傷つけないけど、何かシュールなの!もっとNHK見てから文句言えっ

 

 なんか、さらにださい展開になってしまいました。伝わらないことが一周回って面白いって思えるラインが絶妙だったと思います。これ、同世代には伝わらないのか?

 でも、NHKの笑いって誰も傷つけない良い笑いだよな。今回の紅白にせよ、挑戦してる感はあるけど、品があるし、良いなあ、と思っていたわけです。そして、昨日たまたま寝る前にテレビをつけました。そして、Eテレで衝撃的ながものを見ました・・・

「ねほりんぱほりん」です。

 どんな番組かって...うまく説明できません。

 公式サイトを見てください。http://www4.nhk.or.jp/nehorin/

 それでも、思ったことを断片的に記します。

 億りびとって!!

 山里亮太とYOU って! 

 もぐらかわいい!

 ブタの操り人形が金持ちのおじさんにどんどん見えてきたよ!

 音声消したら、がんこちゃんと同じなのに!!!!

 

 そして、どうしても、だれかに伝えたくて、呟いたTwitter

NHK の笑いって、かわいいおじさんの宴会芸ちっくだよなあ~って、思ってた時間がひっくり返ったぞ。ねほりんぱほりん。たまたまつけたらやばかった。あんなにかわいいのに。なんだよ、最後のヤンマー風次回予告はw

 

Eテレはがんこちゃんと0655とピタゴラスイッチと100分de名著とリトルチャロののほほんとためになるチャンネルだと思ってたら、人形の技術をちがうとこで使ってきた...衝撃...来週もみます 

 

 私の「のほほんとためになる」というイメージがひっくり返った時間でした。話を戻しますとか若者には、NHKを見ないということですけれど、同世代とNHKのあの独特な感じについて語りたい!!まず、テレビをつけてくれ。

SMAPさんとその下の世代について思うこと。

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 小さい頃からSMAPがテレビに出ていることが当たり前だった。私が生まれる前から働いている彼らが、解散する。先日、スマスマが放送を終了した。

 母は小さな私を寝かしつけてから、スマスマを見ていたらしい。うちにはMIJのDVDがある。一時期、我が家には、SMAPライブDVDを見るブームがきた。大学生になったとき、友達に誘われ、コンサートに行くことができた。SMAPのコンサートは時間がとても長く、歌にダンスに、コントに、ファンとの交流コーナーに、盛りだくさんだった。ファンは長年応援しているからか、落ち着いていた。

 スマスマが放送を終了した日の夜、Twitterを開くと多くの人がSMAPについて呟いていた。

 本人たちから何も言わないことを嘆くもの、「ラストステージ」とアナウンサーが言うことに反発するもの、世界に一つだけの花のみの収録に残念がるもの、最後の礼は謝罪だと捉えるもの、感謝だと捉えるもの。様々に、SMAPについて呟いていた。

 気になったのは「ファンじゃなかったけど、寂しい!」系の呟きだった。

 私も同じことを思っていた。

 最近、スマスマはほとんど見ていなかった。CDは買っていないし、ドラマもチェックしていないし、CMが流れても、以前のようなときめきはなかった。だから、ファンではないと思っていた。

 だが、最終回の総集編を見たらどうだ!知っているものばかりじゃないか。ソフトバンクのCMはどうだ!懐かしい気持ちと、ときめきで溢れているじゃないか。自分のiPodではどうだ!!オレンジとオリジナルスマイルをよく聞いてるじゃないか。

 あれ、大好きなんじゃん。そうか、SMAPは、今まで気づかないほど、生活に馴染んでいたんだ。それが、「国民的アイドル」だったんだ。

 たぶん、「ファンじゃなかったけど」と呟いた人は、ずっと応援していた人とはちがうけれど、という意味で「ファンじゃなかった」と言っている。みんな好きだったんだ。でも、馴染みすぎて、改めて、ファンだと公言しなかっただけだ。

 

 さて、今回のことでアイドルを続けるということについて、考えさせられた。

 なぜかというと、あんなに5人で楽しそうにお泊まりロケしている人が、泣きながら「BEST FRIEND」を歌う人が、仲違いで解散するとは思えないからだ。

 SMAPの前には、こんなに長くアイドルグループを続けたものはいない。歌って、踊って、笑顔を届けるのは、自分の中の違和感と折り合いをつけることが必要なのだろう。その違和感をずっと抱えていて、おじさんになったらどうするんだという疑問にも、自分で答えを出すしかない。SMAPはずっと開拓者だった。誰も通らないアイドルの道を突き進み、開拓してきた。でも、もう、これ以外に答えがなかったんだ。スターの引き際というのは、本当に、大事なんだと、この一件で感じた。

 下の代のアイドルはどうするんだろうか。嵐はとても仲良しに見えるし、あの5人の雰囲気が大好きだ。でも、あと何年かしたら、解散するのだろうか。

 願うのは、無理しないで欲しいということだ。もちろん、アイドルという職業が、無理しないと続かないのはファンでも少しは分かる。でも、無理して、ずっと5人で、毎週番組をやって、解散してしまうより、節目に揃って、歌番組に出てくれた方が嬉しい。

 周囲の人は考えて欲しい。長く続けたアイドルグループが、そのあとも、存続できる方法を。そのあとも続ける方法を。仲違いしても、決定的にならないような仕事の方法を。異動がない、アイドルに、何か異動のようなもので、良い距離感でいられるものを。

 

そう考えてしまう。

 

 今までありがとう、SMAPさん。個々の活動で、今後のご活躍をお祈りします。

寝ながらできること

かにゃーです。

 SMAP さんについて色々考えてしまいますが、記事にできるほどまとまっていません。

 また、体の調子も悪いので、寝ながらできることで、アプリで絵を描いたり、色塗りしたりしています。

「猫が伊勢谷友介風に撮ってみた」

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 もともと、絵は得意ではないのですが、アプリのおかげで楽しめています。使ったのは、このアプリです。上手な人はもっとリアルに描けますね。

 
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 それから、大人の色塗りもやっています。

「固定概念」
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 下絵はあるので簡単に、芸術家を気取れました。ぶってるタイトルをつければ尚、気取れます。 

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 使ったのはこのアプリです。
 無料で簡単に楽しめるものを開発してくれる人々に感謝です。
 

リア充爆発しろっていう必要ももはやない

 メリークリスマス。かにゃーです。ほぼ寝たきりですけれども、昨日の夜はケンタッキーを食べました。1週間以上前からこれだけが楽しみだったんですよ。でも、30分以下以内で食べ終わって。これで楽しみは お終いになりました。あんなに楽しみにしていたのに、始まるとあっという間に終わりました。あっけなく終わりました。何でですかね 。

しかもちょっと、胃もたれしてるし。運動できないのに、食べるから!

 何年か前の映画で、「舞妓Haan!」という映画がありました。 その時のセリフで 、阿部サダヲさんが 「始まるってことは終わるってことじゃないですか。」というところがありました。

  楽しみなことがあると、いつもこのセリフを思い出します。 旅行やイベントというのは 計画している時が、一番楽しいんですよ。

 あれしよう、これ食べよう。わくわく!、、、って。

 私なんか、旅行中計画通り進めることが目的になって、時々旅行を楽しめなくなることがあります。もう旅行が終わるんだなと思って。

 始まるってことは終わるってことなんだなぁと思って。

  さて、クリスマスについてです。  クリスマスはキリストの生誕祭です 。リア充爆発しろ!日本はキリスト教じゃないから、関係ないじゃん!という人がいます。

 でも、恋人と過ごさないクリスマスに、もうもう言い訳も必要なくなってきたように思います。それが普通になってきた、むしろ、楽しむ風潮が強いように思います。

 居酒屋では、禁愛席が設けられたり、 丸亀製麺では、クリスマス期間の夜なきうどんが半額で発売されたり、商業として利用されています。また、クリスマスに恋人と過ごさない割合が、半分程度になっているとニュースで見ました。恋人と過ごすから、かっこいいという時代はもう終わりに来ているのかもしれません。半分一人で過ごすなら、もうそれは、普通のこと。

 そうなれば、「リア充爆発しろ」と言う必要もないですよね。友達同士で集まる必要も、パーティを開いてSNSにアップする必要もない。一人で過ごすのが普通なのだから、アピールする必要がないから。

 クリスマスっていつが楽しかったって、子どものころが一番良かったです。プレゼントをもらえるのはわくわくしましたし、ケーキだって、今よりずっと嬉しかった。当たり前か。

 ケンタッキーをかじりながら、「子どものためのイベントだな」と考えてしまいました。ちょっと、切ないですが、いつか自分が結婚して子どもが出来たら、クリスマスをちゃんとやろうと思いました。大人になってからのクリスマスの楽しみ方は、それかもと思ったので。

 それでも、もう今日で今年のクリスマスはおしまいなので、back numberの「クリスマスソング」を繰返し流してます。

♪サンタとやらに頼んでも仕方ないよなあ~

ほんとだよな。back numberさんよ。大人になれば、何でも自分次第だよなあ。

 最後にうちの絶妙な顔なサンタを。


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クリスマスプレゼントと人間らしさ

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 かにゃーです。今月の100分で名著を見ました。今月はレヴィ=ストロースの『野生の思考』です。そこで、話されていたクリスマスや、サンタクロースの話から考えたことについてしのごの書いていきます。

 クリスマスはもともとケルト民族の祭りと言われているそうです。まずは、番組で見たものを自分なりにまとめました。 

ケルト民族の祭り

 昼は生者の時間、夜は死者の時間と考えていたケルト民族は、日がくれるのがもっとも早い冬至は、悪魔たちがやってくると考えていた。そこで、冬至の日はやってきた悪魔にご馳走を振る舞い、もてなし、贈り物を渡し、死者に帰ってもらう祭りを行っていた。祭りでは、子供が悪魔に扮し、ご馳走を食べ、贈り物をもらった。

 そのうち、悪魔に扮するのは子供から大人になり、日本のなまはげのような習慣となった。悪い子はお仕置きされ、いい子にはプレゼントがもらえた。

そのうち、なまはげのような要素はなくなり、プレゼントをくれる現在のサンタクロースに近い習慣となる。

サンタクロースの由来

 キリスト教で贈り物をするのは、キリスト教の聖ニコラウスが最初だとされているそうです。ちなみに、聖ニコラウスの読み方は「ニコラウス」や、「ニコラオス」や、様々なようです。以下、Wikipediaにあった聖ニコラウスの、サンタクロースとの関係です。

 司祭であった時には、かつて豪商であったが財産を失い貧しくなったために娘を売春させなければならないところであった商人の家に、夜中に窓(あるいは煙突とも)から密かに2度、多額の金を投げ入れた。このため持参金も用意して娘達は正式な結婚を行なうことができた。父親は大変喜び、誰が金を投げ入れたのかを知ろうとして見張った。すると3度目に金を投げ入れているニコラオスを見つけたので、父親は足下にひれ伏して涙を流して感謝した。

Wikipedia「ミラのニコラオス」より)

 このようにあり、聖ニコラウスがこの娘さんの家にお金を投げ入れたことが、サンタクロースの起源とする説があるそうです。もともとキリストの誕生祭は質素な行事だったようですが、この聖ニコラウスと贈り物をする本能、また時代が進んで、アメリカの商業主義が入ってくると、それが野生の思考と合致、クリスマス商戦が加熱したそうです。

 ちなみに聖ニコラウスとサンタクロースはどう関係があるのかなと思ったら、以下のようにありました。

 また、ニコラオスは学問の守護聖人として崇められており、アリウス異端と戦った偉大な教父でもあった。教会では聖人として列聖されているため、「聖(セント)ニコラオス」という呼称が使われる。これをオランダ語にすると「シンタクラース」である。オランダでは14世紀頃から聖ニコラウスの命日の12月6日を「シンタクラース祭」として祝う慣習があった。その後、17世紀アメリカに植民したオランダ人が「サンタクロース」と伝え、サンタクロースの語源になったようだ。(Wikipedia「サンタクロース」より)

 つまり、言語によって、読み方が異なるため、それが伝え聞きしていった結果、ということですね。地域や、宗教によって、それぞれですので、書いたことは間違っているかもしれません。何にせよ、ここではそれらの文化の是非を問うつもりはありません。

野生の思考とクリスマスプレゼント

気になったのは、

○人は冬に贈り物をしたいという本能をもっていること

しかも、それぞれが、

○贈り物をする習慣を自分の文化に持つことです。

 そこで、日本についても考えてみましたが、日本でも1年間お世話になった人にお礼の気持ちを込めてお歳暮を贈る習慣があります。

◇冬は贈り物をしたいという本能

 それに、番組で言っていたのは、

◇人間には贈り物をすることで、相手に貸しを作りたいという本能

 があるということでした。

 贈り物をすることで、相手に貸しを作りたいという本能があるというところが面白いと思いました。たしかに、きちんとお礼の気持ちも込めて贈る、その気持ちに嘘はないでしょう。でも、それだけではないというところが、説得力があります。

 何かもらったら、お返しをしたいと思う、しかも、良いお返しをして、優位に立ちたいと思う気持ちが備わっているらしいのです。

 社会集団を維持するには、そういう気持ちも利用して、「贈り物をし合う」という平和的行動で、気持ちを晴らすこともあったんだと思いました。

 例えば、「相手に優位に立ちたいという気持ちは自然です。でも、相手を見下してはいけません。」と語られるだけより、平和的行動で発散できるのが良いでしょう。

 それでも、

 「野生の思考なんて知らんわ。本能なんてもう持ってないわ。そもそも、お金がないのに、誰にもプレゼントなんてしたくない。そんな気持ちになるくらいなら、一人でいたい。」と思う人も多いかもしれません。

資本主義と野生の思考のバランス

 話は少し変わりますが、資本主義は孤独を助長する主義だっていうのを聞いたことがあります。どういうことかというと、「より早く、より多く、物を売る」というのが、資本主義だとすると、

 家族に一台テレビを買わせるより、一人一台テレビを買わせた方がもうかる。だから、子供部屋に、寝室に、お風呂に、対応する大きさと性能のテレビを作って売る。そうすると、自分で、好きなテレビを好きな時間に見ることができる。でも、その分、家族と一緒にいなくても、一人でいる時間が増えるということ。単純にテレビの例だけでなく、多くのものがそうなんだということだそうです。

 便利は孤独を生む、でもそれでも良いと思わせてくれる、物とお金さえあれば、一人でも生きていけるのかもしれない。それで良いと思えるなら。

 ここまで、まとめて何を考えたかというと、野生の思考と経済活動のバランスが崩れると、資本主義も衰退していくということではないかということです。

 

 野生の思考+資本主義

→クリスマスプレゼント商戦

→経済効果

 ここまでは野生の思考と資本主義のバランスが取れていた。

→資本主義の行き過ぎ

→もう欲しいものはだいたい持った

→みんな同じものを持っているから贈り物をしない。

(冬には贈り物をしたいとう野生の思考が衰退、集団でいることもなくなる)

→一人でも大丈夫なように物を更に揃える

→もうなにもいらない。

→(物が売れないので資本主義も衰退していく)

 

 乱暴な図式ですが、こういうことではないかと思ったのです。それで、おそらく、学者はこれにきちんと根拠や論理を立てて書いているのではないかと。 

まとめ

 しのごの言って参りましたが、誰かに贈り物をしたいと思っているうちは、人間らしく暮らせるのではないかということを、まとめにしたいと思います。資本主義に躍らされるだけでなく、冬に誰かに贈り物をしたいというもともとの気持ちは、人間として自然にあるものだそうですから。

 

【引用】

Wikipedia「ミラのニコラオス

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ミラのニコラオス

(2016.12.23参照)

Wikipedia「サンタクロース」

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/サンタクロース

(2016.12.23参照)