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中学の同級生に見られたら穴を掘ってブラジルに行きたい

脳脊髄液減少症を再発し、闘病中。寝たきりだけど、言いたい!

100分de名著『正法眼蔵』を見て

病人は病人のままに

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 かにゃーです。毎回ぜんぜん別の記事を書いていて、つかみどころがないなと思いますが、今回はEテレで放送されている100分de名著を見て思ったことを書きます。

 

 この番組は何年か見ていて、毎月どんな本が選ばれるのかとても楽しみです。実際にその本を買って、読むこともあります。 

 今回私が見たのは道元の『正法眼蔵』の回です。11月の放送を録画していて、まだ2回分しか見ていないのですが、あまりに感じ入ってしまいました。どんな内容なのかホームページのものを載せておきます。

 

 道元思想のキーワード「身心脱落」。道元が宋で悟りを得るきっかけとなったこの言葉は何を意味するのか? 一言で言えば「あらゆる自我意識を捨ててしまうこと」。自我意識を捨て、あらゆるこだわりをなくして、真理の世界に溶け込んでいくことこそ「身心脱落」なのだ。それは、病や苦悩、死すらもありのままに受け容れる境地。「身心脱落」すれば、何ものにも惑わされない悠々とした生き方が自ずと見えてくる。第一回は、道元の生涯をたどりつつ、「現成公案」の巻を中心に「正法眼蔵」を読み解き、「身心脱落」して世界をありのままに受け容れる生き方を学ぶ。(100分de名著ホームページ)

 内容は自分が解説できるものではないのですが、その中でも特に印象に残った部分がありました。それは、「身心脱落」というキーワードを薪と灰で解釈するという文章を読むところです。自分の記憶のままに書きますので、間違っているかもしれません。 

 薪が燃えると灰になる。 

 灰はいくら薪に戻そうと形作っても薪にはならない。

 私達は薪が燃えることで灰になると思っている。だから、薪が先、灰が後だと思う。

 しかし、これは私達が順に見る視点を付け加えたからそう見えるのであって、薪には薪にのみ、灰には灰にのみの時間がある。過去や未来ばかり見ていることはない。

 番組の良さを上手く書けないのがもどかしいですが、こんな感じの内容でした。

 解説の先生が言っていたのは、薪は薪、灰は灰。これは人間にも同じことが言えて、病人なら病人のままに生きれば良いということでした。他人から同情されて嫌だとか、苦しいとか、そういうことばかり考えていないで、優しくしてくれる人にはありがとうと、嫌な人には嫌な人だと、それで「拝む」ことをすれば良いと。

 ここでの「拝む」というのは尊敬や、尊重のような価値を見いだすことではなく、ただ、「拝む」としか言えないとおっしゃっていました。私は肩の力を抜いてフラットな姿勢で向き合うということかなと解釈しました。

 病人なら病人として、治るまでは病人なのだからという言葉が刺さりました。

 治りたいと願うのは当たり前で、治ったらやりたいことが山のようにあります。しかし、それが今出来ないことで自分自身を苦しめることもないのではないかと気付いた気がします。それでもずっと考えてしまいます。

 でも、それでも良いのだそうです。迷う、しっかり迷うことが大事なのだそうです。とても難しい話ですね。

 話を理解できたとも思わないのですが、少しでも気づけたことが良かったです。

 そして、思い出したことがあります。アランの『幸福論』を読んだ時も同じことがあったことです。

 とにかく、幸福になりたいなら、今つらいことを、なぜなぜなぜ?!?と掘り下げるのではなく、忘れる、他のことに没頭することだと書いてあるように思いました。

 身体が病気であれば、心がつらいのは当たり前。それを、ぜんぜん違うところに原因を見つけようとして、掘り下げる、自分が駄目な人間に思える、そうすると余計につらくなる。

 そういうことはやめて、きちんとトゲを抜くまで待っていなさい、ということだったと思います。トゲというのはこの場合、身体の病気ということですが。

 そして、これを自分なりに考えた結果、しのごの考えず、食って寝ろ!ってことじゃないかと結論付けました。

 かなり乱暴な解釈なのですが。

 とにかく、今。今、自分の現状は仕方ない。治るまでは病人だ。治療が効くのを待つしかない。迷いながら、でも自分を必要以上に苦しめないように、生きる方法を探すしかない。

 

NHK Eテレ「100分de名著」ホームページ

http://www.nhk.or.jp/meicho/sp/index.html