中学の同級生に見られたら穴を掘ってブラジルに行きたい

脳脊髄液減少症を再発し、闘病中。「中学の同級生に見られたら穴を掘ってブラジルに行きたい」というのは、最初は精神的なことを書いていたので中学校の同級生に見られたら恥ずかしい内容という意味で付けました。

女子高生は耳でしゃべっている

 かにゃーです。

言葉の話をしましょう。

 この前沸騰ワード10で串屋物語を特集していた。女子高生に人気ということで、女子高生が友達と楽しそうに串揚げを揚げ、揚げベーコンにチョコレートをかけるなどしていた。

 治ってから行きたい!ちょー行きたい!と思いながら見ていたのだが、ひとつ気になったことがあった。

 女子高生が「こんだけ食って~」と言っていることだ。

 串揚げをあんなに食べているのに、顔テカってない、前髪ふわっと、後ろ髪サラサラ、かわいい雰囲気の女子高生が、「食って~」と言っている。

 自分が女子高生の時も「食う」という言葉を使う子は周りにいたと思う。当時はその子がギャルとか、かわいいかどうか関係なく、どんな言葉で話すのかは、気にならなかったように思う。自分や、自分に近い友達のことで目一杯楽しくて、他のことは何も考えていなかったんじゃないかと思う。当時は色々考えていたつもりだったが、忘れてしまった。

 そもそも、何が気になったかというと、「食う」という言葉である。「食べる」でも「いただく」でもなく、「食う」だ。


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 「食う」って、肉のかたまりを海賊が歯でひきちぎってるイメージにフィットしないか?犬ががつがつ残り物食べてる時にフィットしないか?そう考え始め、例文をつくってみた。

例)

 ポチは残り物を食う。○

 アシカは獲物を食う。○

 ネコはキャットフードを食う。△

 私はオムライスを食う。△

 私は焼き肉を食う。△

 俺は飯を食う。○

 彼女はナポリタンを食う。△

 例文をつくって内省していくと、「食う」の許容度は、何が「食う」のか、食うものは何かという二つがポイントだと気づいた。

 

1.何が「食う」のか

 a.人か、人以外か

 人以外、たとえば家畜やペットの場合、「食う」の許容度が上がると考えられる。

  例:太郎は飯を食う△/犬は飯を食う○

 b.男か女か(書き方によってはオスかメスか)

 男の方が「食う」の許容度が高い。

  例:俺は飯を食う○/あたしは飯を食う△

 c.何人称か

 「俺」の一人称では許容度が高いが、「彼」という三人称では「食う」の許容度は、あまり高くない。

  例:俺は飯を食う○/彼は飯を食う△

 

2.何を「食う」か

 例えば、同じ犬でも、高級感のあるとのだと、「食う」の許容度が低くなる。

  例:犬が残り物を食う○/犬がお芋ケーキを食う△

 この二つの視点で内省すると、「女子高生が串揚げを食う」という文は許容度が低い。しかし、これは私の内省なので、言葉を使用する女子高生には関係ない。

 ここまで考えて気づいたのは、言葉を使用するときに、その言葉のイメージとリンクさせて、話すかどうかで、聞く人に与える感じがちがってくるということだ。

 言葉というのは、音とイメージが繋がることで理解できる。例えばりんごという言葉は、簡単に書くと、「ri n go」という音とりんごの視覚的ものが繋がることで、りんごという言葉が分かる。

 これに、「食う」という言葉を当てはめると「ku u」という音と肉を食いちぎるようなイメージが繋がることで、「食う」が理解できる。そして、そのイメージがある人には、女子高生が「食う」と言うことに違和感がある。

 でも言葉を使う方の女子高生としては、特にどうでも良い。それは仲間内で「食う」が通用するからだ。たぶん、彼女たちは「ku u 」という音で会話しているのだと思う。

 若い人たちが稚拙な表現力だとか、言葉が乱れている、などと言われるもとはここにあるように思う。

 音とイメージをひとつひとつ繋げずに、仲間内で通用する単語で会話できるからだ。他の言葉にしても同じではないかと思う。例えば、「ka wa i i 」可愛い。おじさんは可愛いわけがない。でも、彼女たちは、かわいいと言う。「ka wa i i 」という音で会話できるからだ。

 タイトルにした「女子高生は耳でしゃべっている」というのは、こういうことだ。彼女たちは表現をしているわけではない。仲間内は、音で会話できるから、そうしているだけだ。そうして、大人たちとちがうことを意識する。JKだということを謳歌する。それで良いのかもしれない。

 これは、馬鹿にしているわけでも、否定しているのでもない。そのうち耳だけでなく、ちがう意味での言葉の楽しさに気づく日がくると思う。