中学の同級生に見られたら穴を掘ってブラジルに行きたい

脳脊髄液減少症を再発し、闘病中。「中学の同級生に見られたら穴を掘ってブラジルに行きたい」というのは、最初は精神的なことを書いていたので中学校の同級生に見られたら恥ずかしい内容という意味で付けました。

あきらめたらどうか。

ターボエンジン×努力

 人間はもともと平等ではないと思う。こういうと、反発されそうだ。だけど、かわいい、または美人が何かするのと、そうでない人が何かするのでは差がある。

 授業中、体が細くて、目が大きくて、髪の毛サラサラ、笑顔がかわいい女の子が先生に指されて「わかりません。」というのと、体型普通、顔中の下、無口の女の子が「わかりません。」と言うのでは、周囲の感じ方はたぶんちがう。

 かわいい女の子の場合、その、「わかりません。」がより愛らしく感じる。よし、よし、教えてあげようとか、あの子と一緒にテスト勉強したいなと思ったりする。

 でも、そうでない子だと、「うわあ、自分に順番くるじゃん、何で答えないんだよ。」と次の人が思うくらいで、後は何も思わない。いや、意地の悪いやつが、「無口なのに、勉強できないんだな。一人で何やってんのかな。」と思うかもしれない。

 かわいいって何だろう。

 でも、そんなことより、努力して勝てる何かを身につけた方がずっと良い。話の通じない同級生とは早く離れて、楽しく生活したい。そんなことをずっと考えてながら中学生をやっていた。

 もともと頭は悪くなかった。でも、クラスで一番になるほどではなかった。一番になる人は効率的に生きているか、他人を見下すような性格が悪い人かどちらかだと思っていた。不器用な自分は、その人たちに勝てっこない。それは、すぐに諦めがついた。

 それでも、絶対負けちゃいけないラインというものが存在していた。でも、それが、特定の誰かというわけでもなかった。何かに必死に負けないようにがむしゃらだった。

 私は、その時に形成されてしまった性格が治らない。

 人間は平等ではない。もともと高い能力を持っている人がいる。それは、理解力や身体能力、記憶力、容姿でも、何でも良いのだけど、とにかく高い能力をもっている人たちがいる。

 そういう人たちはジェット機と同じエンジンを積んでいる。自分のやりたいことをその世界で発揮している。努力もしているが、それはジェット機を操縦するために必要なことだからだ。誰よりも遠くにいける。

 私はこの人たちを、ただただすごいと思う。全く違う土俵にいる人たちだ。たぶん、彼らから受ける恩恵で生きている。

 その次の人たちは、並々ならぬ努力して、地上を走っている。レースカーや高級車のエンジンを積んでいる。ここには、自分のエンジンがどれほどの能力を持っているか分かっているにも関わらず、後ろの方をゆっくりと走ろうとする人もいる。

 逆に、能力を分かっていても、最大限にアクセルを踏んで、飛ぼうとする人もいる。そして飛べないことに落胆している。

 この中で一番嫌なのは、良いエンジンを積んでいるくせに、アクセルをあまり踏もうとせず、普通車と同じスピードで走ろうとする人だ。

 楽して隣を走っている。その呑気な横顔も腹が立つ。こっちは必死こいて、このスピードで走っているのに。

 私は、その下の普通車で、でも自分が原付よりずっと良いエンジンを積んでいるという自負がある。普通車の中では、トップで走っていたい気持ちがずっとある。でも、エンジンは、どうにも根をあげている。自分の能力を過信しているのだろうか。

 顔を真っ赤にして走り続けることには限界がある。私は飛べないことに気づかない高級車と同じ、いやそれよりもずっとダサいものなのだろうか。もしかしたら、私は普通車でもなく、原付ですらなく、自転車で、必死にペダルをこいで、周りに引かれてるだけではないか。

 そんなことをずっと考えている。

 とにかく、自分は足を動かすことをやめられない。何かに負けないように。それは、自分に負けたくないなんて、かっこいいものではない。もっとどろどろとした、嫌なものだ。