中学の同級生に見られたら穴を掘ってブラジルに行きたい

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毎日気を使って疲れてしまう人へ

謙虚さと贈り物

 以前、100分de名著で見た『野生の思考』から学んだことで、贈り物について書きました。ここから開けたことがあるので、ひもといていきます。

野生の思考とクリスマスプレゼント

気になったのは、

○人は冬に贈り物をしたいという本能をもっていること

しかも、それぞれが、

○贈り物をする習慣を自分の文化に持つことです。

 そこで、日本についても考えてみましたが、日本でも1年間お世話になった人にお礼の気持ちを込めてお歳暮を贈る習慣があります。

◇冬は贈り物をしたいという本能

 それに、番組で言っていたのは、

◇人間には贈り物をすることで、相手に貸しを作りたいという本能

 があるということでした。

 贈り物をすることで、相手に貸しを作りたいという本能があるというところが面白いと思いました。たしかに、きちんとお礼の気持ちも込めて贈る、その気持ちに嘘はないでしょう。でも、それだけではないというところが、説得力があります。

 何かもらったら、お返しをしたいと思う、しかも、良いお返しをして、優位に立ちたいと思う気持ちが備わっているらしいのです。

  簡単に言うと、贈り物をするというのは、相手に貸しを作って優位に立つという要素があるということでした。クリスマスの起源は、悪魔が悪さをしないよう、もてなし、贈り物をするということでした。ここから、人間の本能には、贈り物は貸しを作るという心理があるということだったと思います。

 自分の行動について変だと思うことがありました。私とても面倒くさい人間なのですが、それは、LINEのやりとりで自分が最後にならないとなんだかもやもやするとか、プレゼントはあげる方がもらうより心持ち楽だとか、常に相手に嫌な思いをさせないだろうかとか些細なことが気になっているとか、そういうことに現れています。

 例えば、電車で会った、その場でしか会わない人にさえ色々考えてしまうのです。間違ってぶつかったりして、相手が嫌な顔をしていないかすごく気になります。その人が家に帰って、「今朝、どんくさい女の人にぶつかられてさ。」と話題にされることを心配します。それは無駄な神経の使い方だと思いますが、そういう細かいことがどうしても気になります。

 細かいことが気になるので、プレゼント選びはものすごく考えて、時間をかけます。でも、選び終わったところでほぼ、私の中で「プレゼントイベント」は終わっているのです。渡した時に相手がどう反応するかはあまり気にしないのです。渡したらその場ではみんな喜んでくれるので、その後使ってくれるかどうかはその人が帰ってから決めることだと思っているからです。私にとっては、とにかく、「選んで、渡す。」ということに重きを置かれてることに気がつきました。

 自分のことなのですが、この重きの置き方は変だと思っていました。プレゼントとは、相手を喜ばせるためのものです。それなのに、相手の感情よりも自分の行動に重きを置くのは変だと思っていました。しかし、「プレゼントを送る=貸しを作る」という式を使えば、見えてくることがあります。

 乱暴な言い方をすると、他人に優位に立たれたくない気持ちが強いのだと思います。いつも謙虚にしていようという気持ちは純粋な部分も確かにある。でもその中には、「謙虚でいれば、誰にも不快に思われないから、自分にとって得だ。」という要素がある。これって、謙虚というより、あざといと思うのですが、仕方ありません。確実にその要素があります。

 得だという点に沿って考えていくと、細かい部分が気になることも何となく理由が見えてきました。相手に不快に思われないように、謙虚に見えるように、ちゃんとしている人に思われるように、LINEにしろ、日常の行動にしろ、プレゼントにしろ、全部貸しを作って優位に立ちたい、「正当」な方法で「得」をしていたい。そういう心理があるように思いました。ああそうか、自分はあざとい人間なのか。そう気づくと少し楽になりました。それなら、変に神経をすり減らす必要もないのではないか。

 

 せいぜいあざとい人間として、神経をすり減らすことを減らして、謙虚の純度を高めたらどうかと。その方が自分も周りも得ではないかと。